『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』後のロックスターを見出した、リトル・リチャードの逸話が凄すぎる!

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2月14日(水)

ロックンロールの偉大なる創設者のひとり、リトル・リチャードのその知られざる史実と素顔を描く感動のヒューマンドキュメンタリー『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』。

1997年1月27日、米ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムで開かれた第24回アメリカン・ミュージック・アウォードにて、ひとりのレジェンド・ミュージシャンに功労賞が贈られた。音楽業界の仲間たちからの万雷の拍手に迎えられ、ステージに上がり涙ぐむ当時64歳の彼にとって、まさにそれは長年の努力と苦労が報われた瞬間なのであった!その名はリトル・リチャード。本名リチャード・ウェイン・ペニマン。1950年代半ばに彗星のように音楽シーンに現れ、後進のロック・ミュージシャンに多大な影響を与えたこの革新的な黒人ミュージシャンは、いったいどのような生い立ちを経て、その名を世界に刻んでいったのか。

1955年、デビュー・シングル「トゥッティ・フルッティ」の大ヒットで世に出ると、リトル・リチャードはヒット曲を連発して反権力志向の若者の心をつかみ、まさにイナズマのような活躍をみせるも突如引退を宣言。そこから5年の「教会への回帰」を経て、復帰後はイギリス・ツアーを通じて無名時代のビートルズやローリング・ストーンズに決定的な刺激と影響を与えていく。立ったままでピアノを弾き、左手でブギウギを、右手では打楽器的打鍵を披露。激しいリズムを背景に、叫ぶように歌ったかと思えば、ピアノの上に立ち、衣服を脱ぎ捨ててステージを縦横無尽に駆けめぐる。今ではすっかり当たり前になっているパフォーマンスの数々が約70年前にひとりの黒人シンガー・ソングライターによって創造されたのだ。さらに近年ではLGBTQ+(クイア)の先駆者としても再評価されている。

一時期リトル・リチャードのツアー・バンドの一員として活動していたジミ・ヘンドリックスは、“リトル・リチャードが声でやっていることを、俺はギターでやりたいんだ”と語る。リチャードのバックバンドにはあのオーティス・レディングやビリー・プレストンも在籍していたことがある。1962年のリトル・リチャードUKライブの前座を務めたのはデビューして間もないビートルズ。ポール・マッカートニーは”僕がやってきた多くのことは、リトル・リチャード自身そして彼のスタイルのおかげだ“と嬉しそうに語る。楽屋ではポールにファルセットの出し方を教え指導したという。同じく6週間ツアーをまわり前座を務めたことがあるローリング・ストーンズのミック・ジャガーは、”自分が10代の時一番影響を受けた人。観客をどうやって喜ばせるのかを学んだよ“と絶賛する。さらには、1953年のジョージアでリトル・リチャードに見いだされ彼の事務所で働いていたジェームズ・ブラウンは、リトル・リチャードが引退した際に代役としてツアーを周り、ブレイクしたという。その他、ボブ・ディランは高校の卒業文集に、将来の夢は”リトル・リチャードとの共演“と書くなど、後のロックロックスターを見出し、影響を与え続けた。ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、デイヴィッド・ボウイら彼の「後継者たち」からの感謝と称賛のコメントを是非、本編で確認してほしい。

3月1日(金)より、シネマート新宿ほか全国ロードショー

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