遠雷

オルシャの青年騎士クミチクは、1655年1月に、うら若い乙女オレニカに求婚した。しかし、クミチクと彼の仲間たちの傍若無人なふるまいのため、若い2人の間に溝が生じ、遂にはオレニカの親族一党と殺し合いの乱闘までひきおこしてしまった。追っ手をのがれて身を隠さなければならなくなったクミチクは、仲間とオレニカを誘拐した。武名高い騎士ウォジョフスキーに率いられた貴族たちに包囲されたクミチクは、ウォジョフスキーに決闘を挑み捕われてしまった。彼は罪状により死刑を宣告されるのが当然だったが、その勇敢さからウォジョフスキーとラジヴィウ公に救われ、忠誠を誓うのだった。やがてスウェーデンがポーランドに攻め入り、ポーランド陸軍司令官もスウェーデンに寝返り、クミチクにも祖国防衛の戦いに加わるようにとの指令がくる。

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